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まえがき
この『弱者曼荼羅』を書こうと思ったのはたしか2001年。突然肝膿瘍」という奇病で入院、前後10日ほど発熱に襲われた。
。それまでもなんども生死の境に立つ塀の上をあぶなかしく歩きながら、なぜか「生」の側に落ちていたのだが、このときだけは歳取って体力も無いところからさすがのカミさんも、「今度は駄目だろう」と諦めかけたらしい。「らしい」というのは、予想を裏切って、またまた甦ったからである。
その時急に、こんなに虚弱な自分がなぜか無性にいとおしくなって、だったら遺言代わりに、今まで書いたことのないエッセーのスタイルで、中村流弱者論でも書いてみようかと思い立ったの発端である。だから最初に書き始めたのが「弐の巻 弱者の記」で、もっと沢山書き込んだのだが、待てしばし。人の病気など暗い話は、誰もまともに読んでくれるはずがないと思い返して、まあ同病の士に参考になるかどうか、それと暗さを笑い飛ばせるものだけに絞ることになった。
その次が「参の巻」である。その気になってみると周辺には、弱さを武器に生きている人がたんとおり、しかも周りの健常者が、まるで腫れ物に触るように接しているケースが目につき始めた。考えてみればおかしな事である。そうした一種錯倒した世相に、おなじ弱者の側から一石を投じてみたいと思った。
四の巻は、兎に角思いついたまま弱者のゴッタ煮だが、「どっこい弱者も生きている」というしたたかさと、何処までが弱者でどこからが強者か、一体何が弱者でなにが強者か、まるで曖昧模糊の時代になったのが現代の姿だろうと思う。その当たりを提示してみたかった。
さて変な話だが、結局「壱の巻」が最後に書き足した箇所になる。こうして弱者VS強者という対立項でものを考えるとき、それはヒトの誕生まで遡ってメス?を入れる必要があるのではないかという、至極もっともな命題に立ち返っただけである。とはいっても、あまり固いことを書いても面白くないし、そうかといってありもしない荒唐無稽な話でもよくない。
そこで多くの学者先生の仮説に、中村流スパイスを加えて、「本来ヒトは弱者の出自である」という部分を強調した。結局この巻が一番力を注いだ箇所になり、面白く読んでいただけるのではと思っている。
最後にプロローグとエピローグだが、いずれもショート・ショートというノベル形式にした。前者は3〜2万年前を想定したもので、後者は数世紀先を近未来を徹底している。前者では「なぜヒトは弱者を助けてきたか?」という導入部としての仮説。そして後者では、最後弱者・強者という仕分けが無くなって目出度し目出度しという締めくくりである。
これが果たしてエッセーか?といわれると、まったく自信も何もない。ただこんな読み物もあるという軽い気持ちで、お好きなところから入って欲しい。

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