縄文への道 縄文人から現代人へのメッセージ
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グズグズの存在の限りない重さ


その1

 グズグズは憂鬱だった。もっともグズグズにとってこんなことは取り立てて不思議なことではないのだが、何度も吐いたというのに、昨日初めて食べた―というより食べさせられた――木の実の、言いようがないほどのえぐさがまだ胃袋の上の方に留まったままである。グズグズはしきりに唾を吐き散らしたが、その唾のいくつかが、焚火で燃えている枯れ枝の上で、ジューという音を立てては消えていった。

 グズグズはなぜかその音が気に入って、なんども唾を枯れ枝に吐きかけていたが、いつのまにかその唾が弾けて湯気をあげながら蒸発する様にじっと見入っているうちに不思議に気分が高揚して、いつの間にか重苦しい胃のことをすっかり忘れていた。グズグズは同時に、仲間たちと一緒に出かけた彼の妻カイカイのことも、多分彼女の背中で泣き疲れて眠ってしまっているだろう我が子ヒイヒイのことも、きれいに忘れてしまっていた。 グズグズは吐き出した唾の泡が、水蒸気とともに消えてなくなることに、精霊のお告げを聞いたような気がしてならなかった。「お前を苦しめたあの実を焼いてみよ」

 そこでグズグズはおずおずと、その反面なにか仇でも打つような快感とともに、あのいまわしい木の実を幾つか掴んで火の中に放り込んだ。

 木の実は、しばらくはその茶褐色の表面から、彼の唾が見せたような湯の玉をたくさん吹き出していたが、突然パーンパーンと大きな音を立てて、いくつか弾け飛んだ。その中の一つがグズグズの額に当たったからたまらない。グズグズは大きな悲鳴を上げ、精霊にお詫びの呪文を唱えながら大きく後ろに飛びすざった。

 それから恐る恐る飛び散った木の実を拾ったが、「アツッ」と叫んですぐに放り出した。グズグズは、しばらくはドキドキする鼓動を持て余しながら大きな息を吐いていたが、やっと落ち着くと、そこに今までにない香ばしい匂いが立ちこめていることに気づいた。

 グズグズは、ようやくそれが火にくべたあの木の実であることに気付き、やっと手で持てる温度になった実を鼻の先に押し当てる。香ばしい薫りはやはりこの木の実のものだった。その薫りは、長い間なにも口にしていないグズグズのお腹をグーグー鳴らした。すぐにでも口に運びたい誘惑をやっとのことで抑えたグズグズは、彼の先祖である精霊にちっと言い訳がましいお祈りをあげたあと、それでも怖さ半分、オズオズと弾けた皮をむしって、ちょっとばかり口に入れて奥歯でかじってみた。

  昨夜のあの青臭さと渋さやえぐさは何処にいったのだろうか。ほのかな甘さとコクのある旨みが、グズグズの口の中一杯にひろがるではないか。グズグズは皮を剥くのももどかしく残りの木の実を口の中に放り込んで、今度はゆっくりと至福の味を噛みしめた。そして幾つかを妻のカイカイと子供のヒイヒイにと、器代わりのシカの頭蓋骨に入れ、大急ぎでそこら辺りに散らばっている生の木の実を拾い集めるのだった。


その2

 グズグズが生きていたのは、今の暦でいえばおそらく2万5000年くらい昔のことになるだろう。グズグズが、もう死んでいない父のブルブルや母のガタガタから、その父や母から、そしてその父や母その又父や母からという具合に、手と足の指を全部数えるほど昔のことを何度も繰り返えし聞かされてきた口伝えの伝承によると、なんでも彼らの先祖が、いまだに大切に燃やし続けている聖なる火を消さないように気をつけながら、それはそれは遠い遠いところから今の地にやって来たのだという。

昔からグズグズの先祖が大切に守ってきた火種がこの焚火に生き残っているのだが、その火も一つだけではちょっとした隙に消してしまうこともあるので、この洞窟の中にもいくつか火種は残してある。そうして男は狩りに出掛け、女たちは水や焚き木、それに野草や果実それに食べられる虫など集めに行く。

その間動けない年寄りや、グズグズのように身体が弱いのだがある意味で変わった能力を持った弱者が、火を絶やさないように番をしているのだ。それでもずいぶん年寄りになった火が死なないために、時々起きる野火や山火事の時に、若い火を補給し続けることにしている。つまり火を利用することは知っていてもそれを自分で起こすことまでは出来なかった。

 いままでそうした火事で焼け死んだケモノのことは知っていたが、真っ黒に焼け焦げていることは、火の神や山の神のタタリだと思って、コワゴワ近付かないようにしてきたのだ。

 グズグズは精霊のくれたインスピレーションによって、「これはタタリではなく贈り物なのだ」と確信した。この木の実がそうなら、焼け死んだケモノも一緒だと思うと、グズグズは早くこのことをみんなにしゃべりたくてジッとしていられなかった。いざとなったら自分だけがタタリに当たって死んでもいいからと、みんなを説得してみよう。


その3

 ヒトが火を持たない時代には、このような洞穴は、ヒョウや洞窟クマなどおそろしい猛獣の棲み家だったそうだが、今はなんとかグズグズたちヒトのものになっているようだ。でも、もし火を絶やしでもしたら、すぐにヒョウや洞窟クマの餌食になってしまう。ここから半日あまり日が昇ってくる方に歩くところにある洞窟では、うっかり火を絶やして、一晩に片方の指の数ほど、ヒトがヒョウに喰われたらしい。

 ブルッと身を震わしたグズグズは、あわてて木の枝を火の中にどっさりと放り込んだ。 そろそろみんなが帰って来るころだ。昨日グズグズが食べてゲーゲーあげてしまったことにがっかりしていた皆に、一転してトクトクと新しい知識を告げている自分を思い浮かべて、グズグズはひとり笑いをかみしめた。


その4

 グズグスは生まれついて身体が弱く、痩せこけていていつも下痢をしたり嘔吐をしたりしていた。ちょっと寒くなると風邪を引いて熱を出し、ゴホンゴホンと咳き込み、とてもまともに成長するとは思われないくらいだったらしい。聞いた話では、彼の父のブルブルも母ガタガタも同じようにとても弱かったようだ。

 そう言えば、グズグスの嫁になった、痩せこけたカイカイは、丸1日掛けて日が落ちる方に歩いていったところにある大きな洞窟の部族の一員だったが、ある種の葉っぱに触れただけで身体中に赤いブツブツが出来、掻き毟っては身体中ミミズ腫れを作り、ちょっと食べ過ぎるとグズグスと同じようにすぐにお腹をこわす。

 部族の長老が、グズグズの嫁にカイカイが欲しいといったときは、すぐに死ぬから稀少価値があるからなのだろうか、と思ったりしたがグズグズにはよくわからなかった。長老が大事に飼っていたイノシシの仔を土産に嫁取り交渉をしにいったときも、カイカイの部族の長老はなかなか首を縦に振らなかったのだが、二人目に出来た子供を返すからといってやっと交渉が纏まったくらいである。 ヒトにとってまだまだ過酷な時代では、グズグスなんかすぐに死んでしまっても可笑しくないはずである。でもこうしてグズグスたち弱者が、どうにか生きてこられたのはなぜだろうか? 

 いつも狩りに出ては獲物を取って帰ってくる頑丈な男たちも、重労働に耐えて、革袋に水を入れ、柔らかい葉っぱやイモなどを掘って来る女たちも、このような貴重な獲物を、ほとんど働かないでいるグズグスに惜し気もなく与えてくれた。 最近グズグスはやっと、どうしてみんが役に立たないグズグスやカイカイたちを大切にしてくれるのか分かりかけてきたようだ。


その5

 グズグスが興奮して、もどかしげに身振り手振りで例の木の実の一件を、それに野火や山火事で焼け死んだケモノのことを話したところ、みんなは、ワッと大声を上げグズグスを輪の中心にして「この冬は、お陰で飢えなくてもすみます」と、精霊に祖霊に感謝の唄を歌いグルグルと焚火の回りを踊り狂ったのだった。

 細い枝木を組み合わせて草の葉っぱ結びつけただけの低い壁で仕切られたグズグズの狭い城では、暖かく燃える焚火を囲んで、カイカイは久し振りに幸せそうな笑顔をグズグズに向けていた。その背中には、いつもむずかっていてばかりのヒーヒーが、顔中に痒みを止め、膿を吸いだす効用があるという草の葉をベタベタと貼られて、それでも今夜ばかりはなぜか気持ちよさそうにスースーと寝息を立てていた。 グズグズは、こっそりと仕舞っていた例の木の実をカイカイにソッと差し出し、彼女が美味しそうに食べるのを満足そうにしばらくジッと見ていた。

 もっともいつもこんないいことばかりではない。むしろ珍しいだと言った方がいい。カイカイが言うには、彼の父も兄も、初めて食べさされたサカナに当たってもがき苦しんで死んでしまったのだそうだ。あれからは、触ったら腹を大きく膨らますフクフクというサカナは絶対に食べなくなったと言い、そのことはグズグズの部族でもタブーになっている。


その6

 実はグズグズも、いつものんびりしているばかりではない。狩りに使う投げ槍の穂先などを作るために、大きな石を掻き割る仕事や、サカナを突くモリになる骨器を削ったりしている。妻のカイカイもその隣で、ヒーヒーにしぼんだ乳房を含ませながら、シカの皮やイノシシの皮を歯で噛んで柔らかくし、それを石で叩いては伸ばすことを繰り返してふっくらした毛皮に鞣めしている。

 みんな弱いなりに、なにやかやと役立っているのだ。第一自分たちは、みんなの半分くらいしか食べられないし、それ以上食べると決まってお腹を壊してしまう。 グズグズの部族だが、屈強な首長スクスクを筆頭に成人男性が十名ほど、子供も入れて三十名くらいが、数世代前からこの一つの洞窟に棲みついている。

 当時の日本の地は、氷河期の真っ最中で、今では海底になっているところが陸地だったため、今後海中考古学が進まないと、詳しいことはなに一つ判らないが、草原の拡がる平野では、マンモスやナウマンゾウそれにオオツノジカなどがユウユウと草を食んでいた。山間部にはブナやナラなどの落葉樹とモミなど針葉樹の樹海に覆われていた。

 彼らは投げ槍を持ってはいるが、ほかの氏族と一緒に狩りをする習慣はなく、十人ほどでは、とてもマンモスやナウマンゾウはおろか、オオツノジカなどにはとても歯が立たない。先日もまだ未婚の男が、怒ったナウマンゾウの牙にはねられて大ケガをしたほどである。せいぜいタヌキかシカ、時にはイノシシくらいが関の山で、それさえもなかなか満足に狩ることは出来なかった。

 結局衰弱したり自然死した草食動物とかが見つかった場合や、ヒョウやトラなどの捕食者によってあらかた喰い荒らされた草食動物の骨を、その場でまたは持ち帰って石器で叩き割って得た骨髄が、依然としてもっとも理想的な栄養源であった。

 閑話休題。さいわいこの(日本という)地では、何処と言わず流れている川やその流れ込む海に、豊かなサカナがいた。いきおい危険な狩りに頼らないでやってこられたことは、当時では並外れた幸運だったといえるだろう。 洞窟の入り口の外では、男の子たちが長老のマダマダを取り囲んで、彼の語る武勇伝に目を輝かし、女の子ややっと乳離れした幼児たちは、呪術者であり語り部でもある老婆エンエンの伝承話に聞き入ったり、キャーキャー騒いだりしながら付近を駈け回って、エンエンにいらだった金切り声を上げさせていた。この分ではなにも問題は起きそうにない。

 グズグズは、子供のころ何度も聴いた話を思い出しては、いまさらのように胸が高鳴る思いの中で、ついウトウトしてしまった。

 彼らが洞窟を出て、竪穴住居という生活手段を覚えるのは、それからほぼ一万年もたってからで、新大陸で大型動物が絶滅したのとそっくりな鬱蒼とした森林環境がこの地を覆い尽くした時まで待たねばならなかったのである。


その7

 さて、賢明な読者はソロソロ察しがついたかと思うが、グズグズは「毒味」の役を担わされていたのだ。常に飢えていた当時のヒトにとって新しい獲物や採集物が、はたして毒がないのか、食べても大丈夫かということが非常に大事だった。なにしろ下手をすれば一族が全滅という憂き目にあいかねない。

 大体いつもお腹をすかしているからなんでもすぐに口にしたい。少々苦くても辛くてもなんでも口にし、不消化と思われるようなものでも消化してしまうくらい丈夫な胃袋でなければ生き残っていけない。とは言ってもやはり毒には弱い。ちょっとぐらいは平気ということが反って怖いのだ。そこでグズグスのような者に出番が回って来る。

 いまでいうアレルギー体質で、悪いガスを噴き出すところではすぐに呼吸困難になり、変なものを食べるとジンマ疹が出たり、嘔吐したり下痢したり、下手をしたら死んでしまうということで、安全センサーの役割を担うグズグズのような者がその存在価値を認められてきたのである。

 弱者であっても、いや弱者だからこそ果たせる役割りの発見は、通常適者生存・優勝劣敗」が常識の動物の世界では、まさに有り得ぬことであった。 多くの種は、より強いより早いより美しいオスを選択することで、弱者を淘汰しながら進化し、生き残りをはかってきたのである。

 ところが、わずかに私たちの直接の先祖のヒトだけが、弱い遅い美しさに欠けるものの中に、生き延びていく上で強者にない長所を見出し、それを巧みに利用するという特異な知恵を持つことになったのである。 そのことが、身を守る鋭い牙や爪を持たず運動能力も低いという弱いヒトを、百獣の王ライオンまで片隅に追いやって地球上最大で最強の種に押し上げたのだといえよう。


その8

 時が経て、グズグズから見ると手足の指を何10回も数えるほどの世代が代わった今、この日本という地では、食べるものが満ち溢れるようになっていた。そうした繁栄をわがものとするためにヒトは、かつて恐竜とともに、わが世の春を謳歌した羊歯木や鱗木が化石となって地中に没したものを、再び掘り出して燃やすことになった。その結果、大気汚染や農薬増え過ぎたスギ花粉など、グズグズの血を引く人たちを気管支喘息やジンマ疹、アトピーや花粉症で悩ませることになる。

 長い歴史の中で、初めて味わう「飽食」という環境の中で、スクスクのDNAを持つ強力な消化吸収力の所有者は、知らず知らずのうちに栄養を摂り過ぎることになった。この生きるための長所が生んだのが、予想もしなかった生活習慣病、すなわち「肥満症・高血圧・脳梗塞・糖尿病・高血脂症・痛風…」である。加えて各種の癌が、彼らを容赦なく襲っている。 ヒトの持つ、このいわば糖尿体質と喘息体質という二つの体質、そのいずれもがかつてない受難の時を迎えることになったのだ。

グズグズ、スクスクという異質の二つのDNAが、いまそれぞれギシギシときしみ、悲鳴を上げているのだ。たとえばグズグズの血を引く人たちが、弱い胃腸のせいで生活習慣病をまぬがれることが多いとなれば、少々の悪い環境でも生き延びる能力を持った人たちは、食べ過ぎをやめれば怖い生活習慣病から逃れられるだろう。

そういけば物事万事簡単だが、なかなかうまくいかないのが現実のようだ。 ヒトがその種を傑出したものにしていった理由、すなわち生き残るためにグズグズたちの資質を巧みに利用してきた知恵に気付くだけで、案外その未来が見えて来るのだが…。

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